8月も終わりを迎える今頃になって、オーストリアに来た当初住んでいたウィーンでの生活・出来事(5月のこと)と、当時と現在の心境についても少し書いてみようと思います。
このブログは、当時の記憶とほぼ毎日書いている日記をもとにを作成しています。
改めて日記を読み返してまとめていると、ハプニングが多かったり、普通の人ならしないようなことをしている気がしてきて、一般性が無く、誰の参考にもならないものになっている気がします。
が、こんな奴もいるのか、という気持ちで読んでもらえると嬉しいです。
5月のウィーンの寒さ
ウィーンでの生活が始まったのが5月の2週目のことでした。
当時のウィーンの天気や気温について下調べを一切せず、たぶん大丈夫だろうと楽観視していたため、トレーナーとぺらっぺらのアウターだけを持って渡航しました。
1日の最高気温が10℃前後、最低気温が1桁台という日が複数日あったので、私の最も暖かい服装をもってしても震える寒さでした。
5月の後半に差し掛かった頃から暖かくなりましたが、それでも朝は肌寒かったので、薄手のダウンジャケットがちょうどいいかなと思います。
そして、雨・曇りの日が多い。
ウィーンに滞在した期間の半分以上は雨または曇りだったと思います。
こっちの人は水に対する耐性が高いというか、多少の雨ぐらいでは傘をささない人が多いです。
ドイツ語で”Wir sind nicht aus Zucker(私たちは砂糖でできてるわけじゃない)”という冗談っぽい言い回しもあるぐらいです。
服が少し濡れるぐらいのことは気にしない大らかさ?みたいなものを感じます。
もし春にこちらに来る予定の方は、暖かい服装と雨具を持参することをお勧めします。
残飯を食べる生活
”残飯”は少し誇張した表現かもしれませんが、ほぼそれに近い食生活をしていました。
ウィーンで約1ヶ月過ごした宿泊地は、集合住宅の1部屋を借りるタイプでした。
利用者が同時期に複数いる場合は、キッチン・バスルーム・トイレが共用で、3つある寝室を各利用者が1つずつ使用するというものです。
私が入居した日の前日に他のグループ客が退居したらしいので、当初の利用者は私1人だけでした。
入居日初日にルームキーパーのJola(この人のヤバさは以前の記事を参照)から、
「冷蔵庫とか棚にある食べ物・調味料は前の入居者達が残していったものだから、よかったら食べても大丈夫だよ」
という説明を受けていました。
特に抵抗を感じなかったため、しばらくの間、先人たちの残飯を生活の糧にすることとしました。
ここでの生活費がどのくらいかかるのか、当初予測できなかったので、節約できるところは節約しようという気持ちがあったためです。
ということで、記念すべきウィーンでの初めての自炊飯(昼)がこちら。
消費期限から判断して、前日までいた人たちのものであろう生鮮食品で彩られた食事になりました。
そしてこちらが夕食。
こんな感じで残り物の恩恵をフル活用しながら、1ヶ月の食費を70€(当時レートで約10,000円前後)で終えました。
数回した外食を除いていますが、外食していなくても80€前後だったかなと思います。
こんな生活をしていると、お金は節約できる代わりに、自尊心というか、誇りというか。
なんかそういう目には見えない大事なものを失う気がします。
オススメはしません。
実際、調子に乗りすぎて去年作られたと思われる手作り?っぽいジャムにまで手を出して、お腹に壊滅的な被害を受けました。
匂いもカビも問題ないと自信をもって判断した上での結果なので、悔いはありません。
ただ、2度としません。
あと、どうでもいいんですけど、”ミックスベジタブル”なのか”ベジタブルミックス”なのか、どちらの呼称が正しいんでしょうか。
我が家ではベジタブルミックスと呼んでいましたが、どうやらミックスベジタブル派の方が優勢っぽかったので、画像ではミックスベジタブル表記にしました。
ベジタブルに詳しい人がいたら教えてほしい。
突然の共同生活
ウィーンで迎えた初めての日曜日のこと。時刻は夜の7時頃。
紅茶(これも自分で買ったものではない)を飲みながら、パソコンで引っ越し先について調べていると、突然玄関の呼び鈴が鳴りました。
知人が誰もいない異国の地で、急に呼び鈴を鳴らされて爆上がりする心拍数。
恐る恐るのぞき穴で外を見てみると、そこには見覚えのある、ぴっかぴかピンクのダウン。
ポーランドが生んだ化物、Jolaでした。
連絡先を交換しているにも関わらず、何の予告もなくやってきた理由は、
「明日新しい入居者が来るから掃除しに来た」
というものでした。
「フランス人だよ」
そう言って、Jolaは掃除を始めました。
最後に枕を洗濯機に放り込んで、洗濯が終わったら干しておいてくれと私に言い残して去っていきました。
洗濯が終わるまで部屋にいられるのが嫌だったので受け入れはしましたが、来るたびに彼女の仕事の一部を委託されることに納得がいかない。
とりあえず、明日から始まるフランス人との生活に備え、調べものを引っ越し先からフランス語にシフト。
色々調べた結果、挨拶するときは”Bonjour”、感謝を伝えるときは”Merci”、ご飯を食べてるときは”Bon appétit”、お別れするときは”Au revoir”と言えばいいことだけ覚えました。
それから2時間ぐらいして、また呼び鈴が鳴りました。
本日2度目のJola。そして、その後ろにはスーツケースを持った女性がもう1人。
Jola:「Überraschung!(サプライズ!)」
開口一番、笑顔でそう叫ぶJola。
この人、本当に狂ってる。どうして連絡すらしてくれないのか。
私を喜ばせるために、素敵なサプライズにしたかったの?
だとしたら人として何かしらの感性が欠けているとしか思えない。
しかも、突然のルームメイトはドイツ在住のトルコ人。
1回目にJolaが来た時の事前情報はなんだったのか。
明日でもないし、フランス人でもない。
行き場を失った私のフランス語よ。Au revoir。
Jolaによるハウスルールの説明が始まり、友達と一緒にいるときに友達の友達が現れて、友達と友達の友達がしばらく会話している間の変な笑みを浮かべることしかできない時間、のような時間を20分ぐらい過ごして、Jolaは笑顔で家に帰っていきました。
2人の会話を聞いたところによると、ルームメイトも1時間近く外で待たされていたそうです。
Airbnbの利用は十分に気を付けた方が良さそうです。
ホスト次第だと思うんですけど、上手く連絡を取らないと、えらい目に合います。
こうして目まぐるしい展開で、予期せず始まった共同生活。
日常的にドイツ語で会話できる機会ができたのはすごく嬉しい。
ただ、20代前半ぐらいの女の子としばらくの間いっしょに暮らすのはちょっと緊張する。
これからは場所を選んでおならをしないといけないし、音にも気を付けないといけないし、なによりニオイを相手用にアジャストしていかないといけない。
嫌われないようにだけしようと心に誓って、その日は”今日からよろしくお願いします”程度の会話の後に寝ました。
軽いホームシックみたいなもの
正直言って、オーストリアでの最初の2週間ぐらいは日本に帰りたい気持ちが日に日に増していくような時間でした。
というのも、寒い上に天気は悪いし、外出する気にもならず観光もできない。
毎日のように部屋に引きこもっているこの時間は一体何なんだ、と問う毎日でした。
今はそこそこ忙しくさせてもらっているので、日本への郷愁みたいなものは当初より薄れてきました。
あと、最近は”自分はどんな人なのか”をよく考えたり考えなかったりします。
今までしてきたこととか、どんな性格なのか。
何が好きで、何が嫌いで、何をしたくて、何をしたくないのか。
そんなことを色々考えて、改めて気づいたことは、誰かと何かをしたい気持ちが強いのかもということ。
私の性格上、独りでなにかすることが好きです。趣味もほとんど独りでできることです。
しかし、こうして昔からの友達とか知人に会おうと思っても会えない環境に身を置くと、誰かと何かすることも同じくらい好きなんだなぁと改めて思います。
なので、今はこっちでしかできないことを本気で楽しむ一方で、帰国したら日本で誰と何をしたいか、色々と思案しています。これはホームシックではなくて、希望です。
全部楽しみ。
それでは。
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